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三夜踊りの由来

三夜踊りの歴史は古く、遠く足利時代より始まった伝えられるが、他の説として前田利家に焼き払われた重蓮寺と称する寺があり、旧暦の7月地蔵祭りが行われ、縁日に念仏踊りがあったといわれ、後の元禄時代に隆盛を極めた。
 その後お
講連中と言うものがあり、「高砂もじり」「やれやれ」等を神社に集まり歌い踊り夜を明かした。
盂蘭盆会(うらぼんえ)には、老若男女が鳳至の神社、輪島崎の寺、河井の神社、近在の寺で三夜続けて踊り、これを三夜踊りと称した。
 男は女物の着物をかぶり腰巻きをつけて女装し、女は男装して顔を隠して踊り先祖の霊を慰めた。
 明治43年4月16日の河井の大火後自粛され次第に衰退の一途を辿ったが、昭和の初期、平井道太郎(医師)、能門正義(宮司)、古坂治太郎(書家)、川端与三ヱ門(塗師)等諸氏や、貸座敷組合の人々が発起人となり三夜踊り保存会が結成された。
 昭和16年の大東亜戦争に突入したときには中断され、終戦後復活されたが、昭和31年頃からの相次ぐ洪水、水害によって再び中断された。
 昭和38年8月水害復興と、市政10周年記念して輪島川の中央に櫓を組み、いろは橋から新橋までの間を市民2千人余りの踊り手が輪を作った。
 その後、9年間河畔での踊りが盛大に続けられてきたが、昭和43年の洪水で河畔に設営されていた櫓が流失、翌47年に三角州に会場が移動されてからは年々踊り手が少なくなり、三夜保存会も自然消滅した。
 昭和61年、重蔵神社境内に会場を移し再興を図ったが、囃子方や踊り手の参加が少なく三夜踊りの実施すら危ぶまれる状態となった。

 しかし、平成3年三夜踊り愛好者が発起人となり、生の音頭、囃子が復活し、新生三夜踊り保存会が誕生し、今日までに至る。

尚、「三夜踊り」は、昭和41年に輪島市無形文化財の指定を受けている。

(三夜踊り保存会の資料より)
編集:倉田眞行